This interview is translated from French to Japanese. The original is 【Toute La Culture】(interviewer Paul Fourier)
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*長すぎる!という方は、前半 後半 に分けたものもあります。内容は同じです。お好きな方で、お時間のある時に目を通して頂けたら幸いです。
(インタビュアー: Paul Fourier このインタビューは、2021年2月21日【Toute La Culture】に掲載されました)
ロシアの歌手、アレクサンドル・ヴィノグラドフは、現在のオペラ界で最も美しい低声の持ち主です。他の歌手と同様に、彼の国際的なキャリアもパンデミックによって大きく妨げられています。
彼は自分のキャリアやプロジェクトについて語り、文化の基本的な役割や政策を変える必要性を主張しています。
Fourier(以下F):こんにちは、アレクサンドル。つい最近私はバルセロナで貴方が出ていた「ホフマン物語」を聴きました。
Vinogradov(以下V):「ホフマン」で悪魔役を歌ったのは初めてでしたが、とても気に入りました。誰もが大好きな悪魔のヒーローが、この作品では四人もいるんですよ!
F:まずは貴方の略歴からお聞きしたいのですが…。
V:では始めましょう。僕はモスクワで生まれました。僕の母は教師であると同時に、音楽史家でもありました。
なので、ごく小さい頃から音楽は僕の生活の一部でした。だから、他の子供たちと同じように路上で遊ぶだけでなく、歌や楽器を習うことが理にかなっていたのです。
それは、僕にとって自然なことだったのです。そして6〜7歳くらいの時にピアノを習い始めました。
ピアノ、クラリネット…そして歌うこと
F:いつ頃から歌うことを始めたのですか?
V:ロシアで音楽活動を始めると、たいていは合唱団に所属することになります。僕の場合はそうでした。
モスクワでは、地元の合唱団に参加してツアーに参加しました。ピアノの他に、クラリネットも始めました。
実は私の祖母の近親者がモスクワで有名なクラリネット奏者で、先生もしていたのです。そのおかげで、呼吸を整えることができたのです。
F:とても音楽的な家系なんですね。
V:僕はユダヤ系なので「歯医者になるか、音楽家になるか」というルールがありました。姉が歯医者になったので、選択の余地がなかったのです(笑)
F:その後ピアノやクラリネットは続けていたのですか?
V:13、14歳の頃、音楽に飽きてしまい、クラリネット、そしてピアノの練習をやめてしまったこともありました。
当時、僕はバウマン・モスクワ国立工科大学に入学するために、物理学と数学を学んでいたのです。
14歳の頃のある日、友人たちとパーティーに参加した際に、ギターを持って歌い始めました。
その時メンバーの一人が僕(の声)に気付き「合唱団を立ち上げるためにバスを探している」と教えてくれました。そこで、ヨーロッパをツアーすることになっていた、この新しいシナゴークの合唱団に参加しました。
1989年、ヨーロッパを訪れることは、非常にエキサイティングなことでした。
このハイレベルな合唱団のメンバーの中には、ソリストとしてモスクワ音楽院で学んだ人もいました。
その中の一人が僕に音楽院の教授を紹介してくれて、その教授が「普通は大学に行かないと(音楽院を)受験できないけど、(君は)受験した方がいい」とアドバイスしてくれました。
僕は、すでに音楽理論や音階を習得しており、音楽的な “教育 “を受けていたと言えるでしょう。
ですので、オーディションの為のプログラムを覚えるだけでよかったのです。
何曲か歌って入学を許可されましたが、これは自分にとって意外で不思議なことでした。
その後、物理や数学の勉強から歌うことへ自分のキャリアの道をシフトし、それを職業にすることが僕にとって、とても興味深い展望になってきました。
F:いつ頃でしたか?
V:モスクワ音楽院に入学したのは1995年、18歳の時です。
F:何かすぐに役をもらえましたか?
V:いくつかのコンテストに参加し、1998年にはステージで歌い始めるのが自分にとって有益だと思って、モスクワのすべての劇場のオーディションを受けました。
そしてボリショイ劇場をはじめとする、すべての劇場に合格したのです。
1998年12月(11日)『ノルマ』のオロヴェーゾ役で、ボリショイ劇場でデビューしました。
F:ボリショイ劇場は素晴らしい劇場で、そしてオロヴェーゾは重要な役ですよね…
V:ノルマは、1990年代にメトロポリタン歌劇場でヴェルディのソプラノとして活躍したマリーナ・メシャリコーヴァが、ポリオーネは、スカラ座でリッカルド・ムーティとラダメスを歌ったバドリ・マイスラッツェが歌いました。
そして、アダルジーザを歌ったイリーナ・ドルジェンコは、この時期、主にドイツで歌っていました。
その上、全くの無名だった僕が(オロヴェーゾとして)歌ったのです。
実は、当時の僕はとても無知だったので(状況が)把握できなかったことと、若いときゆえの無謀さで「(何も)怖くない!」と思っていました。
しかし恐怖を・・・初めてステージに立ったときに、膝ががくがくと震えたことで、体感しました。
F:その後、ボリショイ劇場での仕事は続けたのですか?
V:本来ならば、2年後に音楽院を卒業しなければなりませんでした。
ボリショイ劇場では「ランメルモールのルチア」のライモンド、「オネーギン」のザレツキーなど、小さな役を演じました。
また『皇帝の花嫁』ではソバーキンを演じましたが、これは割と大きな役でした。
しかし結局、僕のような若いバス歌手に合う役はあまり多くなく、モーツァルトもベルカントも歌う機会がありませんでした。
その頃、自分の名前を出してお金を稼ぐために、いくつかのコンテストに出場しました。
1999年にはサンクトペテルブルクでエレナ・オブラスツォワのコンテストが開催され、そこで出会ったのが、今でも一緒に仕事をしているエージェント(Askonas Holt)です。
エージェントは僕を様々なオペラ劇場のオーディションに誘ってくれました。
そして当時ベルリン国立歌劇場では、劇場専属のバス歌手を募集していたのです。
そこで2001年にベルリンに来て、国立歌劇場に入団したのですが、これが僕のキャリアにとって大きなステップとなりました。
F:最初は小さな役が多かったと思いますが…
V:ええ、でも最初の役は『ノルマ』のオロヴェーゾでした……
F:またもや!(笑)
V:1年目はオロヴェーゾ、『セビリアの理髪師』のドン・バジリオ、『魔笛』の弁者を歌い、その後すぐに『フィガロの結婚』のフィガロ、『魔笛』のザラストロ、『パルジファル』の第2騎士、『フィデリオ』のドン・フェルナンドを歌いました。
小さな役ばかりではなく、非常に多様な役がありました。
今思えば、僕の声にとっては非常に危険な状態でした。しかし、僕にとっては、自分に合ったレパートリーを見極めるための手段でもありました。
また、ダニエル・バレンボイムや、シモーヌ・ヤング、フィリップ・ジョルダン、ベルトラン・ド・ビリーの下で仕事をする機会もあり、モスクワから来た僕のような少年にとって、それはまさに得難い体験でした。
この数年間は、僕の(声の)訓練にとって、とても重要でした。
現在、僕の声が僕に「歌いなさい」と言ってるのは、主にヴェルディ、イタリアやフランスのロマン派、ベルカントなんです
F:実際、モーツァルトからベルカント、ヴェルディからワーグナー、ロシアやフランスのオペラなど、非常に幅広いレパートリーを持っていらっしゃいますね。貴方の声に合ったものは?
V:僕が歌いはじめた頃の最良のレパートリーは、モーツァルト:レポレッロ、フィガロ…だったと思います。
現在では、間違いなくヴェルディとすべてのメフィスト(グノー、ベルリオーズ…)です。フランスのロマン派のレパートリーは、僕にとって素晴らしいものです。
僕は音楽にとても興味を持っている人種です。そして、僕は自分の楽器を演奏すること(=自分の声を使って歌うこと)で、縦横無尽に音楽を旅することができるだけの実力があると信じています。
僕は今、全て(の役)ではないにしろ、ワーグナーも歌うことができます。『リング』のファーゾルトや『トリスタン』のマルケ王などは素晴らしいと思いますが、注意深く声を観察しています。
ザラストロも歌えます。その一方で『ホフマン』の悪魔4役や『エスカミーリョ』も歌えます。
つまり、高音域と低音域、共に求められる役を歌うことができるのです。そしてもちろん『ドン・カルロ』のフィリッポ2世もレパートリーに入れています。
しかし、現在僕の声が僕に「歌いなさい」と言っているのは、主にヴェルディ、イタリアやフランスのロマン派やベルカントなんです。
F:あなたがこれまでに出演した劇場について話しましょう。おっしゃるとおり、ベルリンの国立歌劇場が貴方の基盤となった劇場でしたが、他にもいろいろな国で歌っていましたね。
V:僕が何も(仕事を)していない劇場はほとんどないと言っても過言ではないと思いますよ。
パリでは、まずガルニエで『イドメネオ』の「声」、次にバスティーユで『ナクソス島のアリアドネ』のトルファルディン、『ラ・ボエーム』のコッリーネ、そして再びバスティーユではルイザ・ミラー(のヴァルター伯爵)を歌いました。
また、2001年にはシャトレ劇場でリムスキー・コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」に出演しました。
ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン・オペラ、そしてミュンヘン、ハンブルグ、チューリッヒ、バレンシア、マドリッドのテアトロ・レアルなどで定期的に歌ってきました。
2001年、僕が初めて国外で演じた役は(マドリッドのレアル劇場での)『ドン・カルロ』の修道士でした。
そしてイタリアでは、ヴェネツィア、パレルモ、トリノ、ヴェローナ、パルマ、ローマ……どこで歌っていないのか、自分でも把握できません・・・
(暫く沈黙の後)そうだ、ザルツブルグだ!なぜなのかはわかりませんが・・・。
F:フランスの他の都市でも歌われていますが..
V:ええ。ボルドーでは2005年にドン・バジーリオ(セビリアの理髪師)2006年にランフィス(アイーダ)
他には(2018年に)マルセイユでシルヴァ(エルナーニ)
そして大好きなナンシー(2014年にザッカリア(ナブッコ)2015年にアレコ(タイトルロール) 、フランチェスカ・ダ・リミニ(マラテスタ))でも。
ナンシーは非常に美しい劇場ですが、街も同じように美しいです。
僕にとってヴェルディは、言葉と旋律線、表現とスタイルの間に完璧なバランスが存在しているのです
F:今後、どのような役柄を演じてみたいと考えていますか?
V:今、自分が歌っているレパートリーにはとても満足していると言わざるを得ません。あと10年、いやそれ以上、ヴェルディを歌い続けたいと思っています。
それが僕にとって最も自然なことなのです。「ナブッコ」「ドン・カルロ」「エルナーニ」「アッティラ」「シチリア島の昨夜の祈り」…
僕にとってヴェルディは、言葉と旋律線、表現とスタイルの間に完璧なバランスが存在しているのです。
とはいえ、もちろん他の野望もあります。特に、ロシアものの大きな役の準備に集中して取り組んでいます。
5年後には「ボリス・ゴドゥノフ」に近づいているでしょう。
ええと…僕は21歳の時にステージで歌い始めて、現在44歳です。初めてのボリスをあまり急ぎたくはないのです。もう少し時間をかけたいと思っています。
また『ホフマン物語』のメフィストも含めて、すべてのメフィスト(悪魔役)を演じ続けたいと考えています。
最終的に僕が本当にやりたいことは、モーツァルト・・・フィガロやレポレッロに戻ることなのですが、現在では誰も私をモーツァルト歌いとしてはみなしていません。
よく「ヴェルディを歌ったら、もうモーツァルトを歌ってはいけない!」と思われているようですが、それは間違いです。
F:バス歌手は悪役を歌うことが多いですが・・・
V: 必ずしもそうではありません。それに、悪役を歌い演じるのはとても楽しいものです。
でも、ヴェルディのバスは、父親や司祭、王様のようなイメージです(笑)もちろん「悪役」にはすべての悪魔が、彼らのそばに存在しているんですがね…
F: あなたはベルリンに住んでいると思いますが…
V: はい、その通りです。
(インタビュアー: Paul Fourier このインタビューは、2021年2月21日【Toute La Culture】に掲載されました)
公演には観客がいなければ意味がありません
Fourier(以下F):今の時代、リハーサルや公演のために海外に行くのは大変なことではないでしょうか?どのように感じていますか?
Vinogradov(以下V):あまり良くはありませんが、しかし僕は幸運にも、このパンデミックの間も、自分の仕事を続けられています。
バルセロナでの『ホフマン物語』その前にチューリッヒとフィレンツェに行ったときも、僕はとても恵まれている…と実感しました。
しかし、現在の状況は残念ながら完全に破綻しています。パンデミックが始まった当初は、家庭を持つ身として、自分の経済状況がどうなるのかを心配していました。
でも今は、自分がアーティストとして今後どうなっていくのか、ということの方がずっと気になっています。
なぜなら、アーティストには舞台と観客が必要だからです。
これに取って代わるものはないのです。公演には観客がいなければ意味がありません。 聴衆がいなければ、そこは劇場とは言えません。
確かに、ストリーミングは一時的に我々の気を紛らわせることは可能ですが、生の公演とはかけ離れているものです。
芸術家は、ステージに立たないと自分のアイデンティティを失う
F: ここ数ヶ月、テレビやウェブサイトであまりにも多くのストリーミングが行われてきたので、人々はそれに飽きているのだと私は感じています。皆、劇場に戻りたいのです。
V: 僕が解決策を提案するのは非常に難しいのですが、劇場やコンサートホールを再開することがいかに重要であるかを政治家に理解してもらう必要があります。世間はこれを望んでいます。
僕は芸術家だけの話をしているのではありません。
もちろん、僕達は劇場の再開をとても必要としています。特に、僕たちの職業では心理的な問題やうつ病を患う同僚が増えていますし、経済的に大きな問題を抱えている人もいます。
そして何よりも、芸術家はステージに立たないと自分のアイデンティティを失ってしまいます。
決断を下した人(=為政者)には、僕たちの職業を奪った時の、その決断の結果(が何をもたらすのか)を理解してもらう必要があります。
これは恐ろしいほどの拷問です。
フランス国王ルイ11世は、敵を身動きの取れない小さな檻に閉じ込め、立つこともできないようにしたまま、彼らを数年間「保管」していました。
目に見えない拷問のようなことが、この1年で世界中の芸術家に対してに行われたことだ・・・と感じています。
僕たち芸術家は今、檻の中にいるようなものなんだ!
また、多くの聴衆も同じように感じていると思います。
オペラ愛好家の方々から「劇場に行くことが許されないので、生きている実感がない」という手紙をもらうことがあります。
政治家の方々には、強いることではなく、可能性を開くような視点で考えて頂ければ…と思います。可能性はあります。
スペインやモナコでやっていることは悪くないと思いますよ。
では、なぜドイツやフランス、イタリアなどの国で、同じことをしないのか?
注意事項が守られていれば、劇場に行くことは他の活動よりも危険が少ないという研究結果があります。
憂鬱な1年を送ったからこそ、人々は劇場やコンサートを必要としているのです。
F:フランスではこの問題について大きな議論が行われています。多くのアーティストがラジオやテレビ、インタビューに登場し、劇場の再開をお願いしています。
しかし、フランス政府は文化を「非本質的」な活動と分類しているため、政治的な選択となっています。
そしてすでに多くの民衆がこの「決まり文句」に衝撃を受けています。
V:同じことはドイツでも起こっています。これは全く受け入れられないことです。間違っています。
今の時代、何が必要なのでしょうか?
失礼ながら、下品で恐縮ですが、人間は食事をして、消化器官に負担をかけない為の排泄をするだけの存在でしょうか?
それが全てではありません。それだけでいいのですか?
このパンデミックの拡大を防ぐために、僕たちがこんにち支払っている代償は少々高すぎるのではないか?
F:いっぽうでフランスでは、クリスマスショッピングのために全てのデパートが営業していました。
しかしこの数週間、ウィーン、マドリッド、バルセロナでオペラを観に行くたびに、デパートやパリの地下鉄よりも劇場の方が安全だと感じていました。
V:政治家がいかに人間を大切にしていないかを示すものだと思います。彼らの考えは、国民の基本的なニーズは食べ物と買い物に行き着くというものです。
それが必要不可欠なものであり、その他のものは存在しません。
僕も残念ながら、(*1)このパンデミックで大切な人たちを亡くしました。ですから、軽々しくは言えません。
しかし、ここで人間の命の価値(値段)とは何かという、奇妙で倫理的に難しい問題が出てきます。私たちの文化では、「プライスレス」と言いますが、これは真実ではありません。
道路を作るときに、より安全にするために少し太くしなければならないとなると、お金がかかり、価格を計算することになります。その安全性を高めるための代償は、ある意味では人命の代償でもあるのです。
このパンデミックの拡大を防ぐために僕たちが支払っている代償は、少し高すぎるのではないかと自問自答する必要があるのです。
そして、それが引き起こす弊害も忘れてはなりません。
景気の話だけではありません。学校に行けない子どもたちにかかる精神的負担を考えてみてください。それは本当によく考えなければならないことです。
人間を、食べたり買ったりするためだけの生き物として扱うことはできません。文化的、社会的な側面を強く再考する必要があります。
F:未来を予測することは非常に難しいですが、どのような計画をお持ちですか?
V:もちろん、現時点でこの話をするのは非常に難しいことです。もちろん、プロジェクトもあります。主にヴェルディで。
現在、稼働している劇場は、主にスペイン、ロシア、オーストラリアでもそうだと思います。
例えば、オーストラリアでヴェルディの公演を予定しています。アッティラ、アイーダ、エルナーニ…
また、ミュンヘンでの公演、ハンブルクでのルイーザ・ミラーとシモン・ボッカネグラ、ロイヤル・オペラでのナブッコ、ウィーン国立歌劇場でのカルメンとアイーダ、マドリッドとチューリッヒでのナブッコ、チューリッヒでのヴェルディのレクイエムとシチリアの晩餐会などの予定があります。
見ての通り、ほとんどヴェルディだけです。しかし、スケジュールの構築が基本的にストップしているため、スケジュールには大きな穴が開いています。
以前はとても忙しく、常に予定が入っていて1年のうち10ヶ月は旅に出ていました。来シーズンの予定は6、7ヶ月分しか入っていません。僕にとって非常に奇妙で、滅多にないことです。
先ほども申し上げたように、最も重要なのは、生きていくために働かなければならないということではなく、
44歳という年齢は、私のような歌手にとって、芸術的に言えば、おそらく「黄金時代」なのです。だから、できる限りのことができないのが残念です。
しかし、僕が言っているのは今年と来年のことであって、その後は良くなると期待しています。
F:アメリカで、例えばニューヨークのメトロポリタン・オペラで歌う予定はありますか?
METとは、今年2月、3月、4月に契約を結んでいました。ご存知のように、すべてキャンセルされました。また、5月と6月にモントリオールとワシントンでコンサートを予定していましたが、これも中止になりました。
F:アメリカでも、ロンドンでも、すべてが完全にストップしている状況は異常です。
これは恐ろしいことで、想像を絶するものです。しかし、アメリカのシステムは、収入は主にスポンサーとチケット販売によるものであり、ヨーロッパ大陸のシステムとは大きく異なります。そのため、現在のような状況では生き残れません。
さあ、この期間は楽観的であるべきだと思います。今の僕を支えているのは、ベートーヴェンのソナタの楽譜がピアノの上にあり、電子書籍端末に本が入っていることです。
こういった活動が僕の生きる糧となっています。
近いうちに元に戻り、自分たちの夢や情熱を観客と共有し、自分たちの仕事で人々を幸せにし、観客の感情を揺さぶることができるようにしたいです。
F:世間はそれを期待していると思うのですが…
そうしたいですね。みんなが、一緒にいること(時)の素晴らしさを忘れないでほしい。文化的なイベントに戻ってもらえるように….
文化や音楽の役割は、社会の中でとても重要だからです。
今の時代、政治家と様々な文化の代表者が同じテーブルにつくことが必要です。
なぜなら、今日の社会では、文化の役割が明らかに過小評価されているからです。
F: 政治家の耳に届くように、アーティストの考えを表現できるのは良いことですし、参考になります。
政治家がこの記事を読んで、僕たちアーティストが文化について語ることを考慮に入れようとするかどうかは、今後の注目すべき課題です。
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(*1)スヴェトラーナ・ネステレンコさん。ヴィノグラードフのヴォイストレーナーとして長年、彼と一緒に仕事をしてきた先生が昨年11月にCOVIDで亡くなっています…