インタビュー:2021年2月「僕たち芸術家は今、檻の中にいるようなものなんだ!」前半(経歴その他、レパートリーについて)

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先日、オーストラリアはメルボルンでの「アイーダ」と「エルナーニ」で大成功を収めたアレクサンドル・ヴィノグラードフ。

今年2月、バルセロナでの「ホフマン物語」(悪魔4役)に出演後、フランスのメディア【Toute La Culture】で受けたインタビューが見つかりました。
(掲載は2月21日)

★フランス語の原文はこちら★

後半は🔽

インタビュー:2021年2月「僕たち芸術家は今、檻の中にいるようなものなんだ!」後半(パンデミック下のオペラ歌手として)


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アレクサンドル・ヴィノグラードフ:僕たち芸術家は今、檻の中にいるようなものなんだ!
(前半:経歴その他、レパートリーについて)

Photo: Polina Plotnikova 笑うと昔の面影があるね

(インタビュアー: Paul Fourier このインタビューは、2021年2月21日【Toute La Culture】に掲載されました)

ロシアの歌手、アレクサンドル・ヴィノグラドフは、現在のオペラ界で最も美しい低声の持ち主です。他の歌手と同様に、彼の国際的なキャリアもパンデミックによって大きく妨げられています。
彼は自分のキャリアやプロジェクトについて語り、文化の基本的な役割や政策を変える必要性を主張しています。

Fourier(以下F):こんにちは、アレクサンドル。つい最近私はバルセロナで貴方が出ていた「ホフマン物語」を聴きました。

Vinogradov(以下V):「ホフマン」で悪魔役を歌ったのは初めてでしたが、とても気に入りました。誰もが大好きな悪魔のヒーローが、この作品では四人もいるんですよ!

F:まずは貴方の略歴からお聞きしたいのですが…。

V:では始めましょう。僕はモスクワで生まれました。僕の母は教師であると同時に、音楽史家でもありました。
なので、ごく小さい頃から音楽は僕の生活の一部でした。だから、他の子供たちと同じように路上で遊ぶだけでなく、歌や楽器を習うことが理にかなっていたのです。
それは、僕にとって自然なことだったのです。そして6〜7歳くらいの時にピアノを習い始めました。

ピアノ、クラリネット…そして歌うこと

F:いつ頃から歌うことを始めたのですか?

V:ロシアで音楽活動を始めると、たいていは合唱団に所属することになります。僕の場合はそうでした。
モスクワでは、地元の合唱団に参加してツアーに参加しました。ピアノの他に、クラリネットも始めました。
実は私の祖母の近親者がモスクワで有名なクラリネット奏者で、先生もしていたのです。そのおかげで、呼吸を整えることができたのです。

F:とても音楽的な家系なんですね。

V:僕はユダヤ系なので「歯医者になるか、音楽家になるか」というルールがありました。姉が歯医者になったので、選択の余地がなかったのです(笑)

F:その後ピアノやクラリネットは続けていたのですか?

V:13、14歳の頃、音楽に飽きてしまい、クラリネット、そしてピアノの練習をやめてしまったこともありました。
当時、僕はバウマン・モスクワ国立工科大学に入学するために、物理学と数学を学んでいたのです。

14歳の頃のある日、友人たちとパーティーに参加した際に、ギターを持って歌い始めました。
その時メンバーの一人が僕(の声)に気付き「合唱団を立ち上げるためにバスを探している」と教えてくれました。そこで、ヨーロッパをツアーすることになっていた、この新しいシナゴークの合唱団に参加しました。
1989年、ヨーロッパを訪れることは、非常にエキサイティングなことでした。

このハイレベルな合唱団のメンバーの中には、ソリストとしてモスクワ音楽院で学んだ人もいました。
その中の一人が僕に音楽院の教授を紹介してくれて、その教授が「普通は大学に行かないと(音楽院を)受験できないけど、(君は)受験した方がいい」とアドバイスしてくれました。
僕は、すでに音楽理論や音階を習得しており、音楽的な “教育 “を受けていたと言えるでしょう。
ですので、オーディションの為のプログラムを覚えるだけでよかったのです。

何曲か歌って入学を許可されましたが、これは自分にとって意外で不思議なことでした。

その後、物理や数学の勉強から歌うことへ自分のキャリアの道をシフトし、それを職業にすることが僕にとって、とても興味深い展望になってきました。

F:いつ頃でしたか?

V:モスクワ音楽院に入学したのは1995年、18歳の時です。

F:何かすぐに役をもらえましたか?

V:いくつかのコンテストに参加し、1998年にはステージで歌い始めるのが自分にとって有益だと思って、モスクワのすべての劇場のオーディションを受けました。

そしてボリショイ劇場をはじめとする、すべての劇場に合格したのです。
1998年12月(11日)『ノルマ』のオロヴェーゾ役で、ボリショイ劇場でデビューしました。

F:ボリショイ劇場は素晴らしい劇場で、そしてオロヴェーゾは重要な役ですよね…

V:ノルマは、1990年代にメトロポリタン歌劇場でヴェルディのソプラノとして活躍したマリーナ・メシャリコーヴァが、ポリオーネは、スカラ座でリッカルド・ムーティとラダメスを歌ったバドリ・マイスラッツェが歌いました。
そして、アダルジーザを歌ったイリーナ・ドルジェンコは、この時期、主にドイツで歌っていました。
その上、全くの無名だった僕が(オロヴェーゾとして)歌ったのです。

実は、当時の僕はとても無知だったので(状況が)把握できなかったことと、若いときゆえの無謀さで「(何も)怖くない!」と思っていました。
しかし恐怖を・・・初めてステージに立ったときに、膝ががくがくと震えたことで、体感しました。

F:その後、ボリショイ劇場での仕事は続けたのですか?

V:本来ならば、2年後に音楽院を卒業しなければなりませんでした。
ボリショイ劇場では「ランメルモールのルチア」のライモンド、「オネーギン」のザレツキーなど、小さな役を演じました。
また『皇帝の花嫁』ではソバーキンを演じましたが、これは割と大きな役でした。
しかし結局、僕のような若いバス歌手に合う役はあまり多くなく、モーツァルトもベルカントも歌う機会がありませんでした。

その頃、自分の名前を出してお金を稼ぐために、いくつかのコンテストに出場しました。
1999年にはサンクトペテルブルクでエレナ・オブラスツォワのコンテストが開催され、そこで出会ったのが、今でも一緒に仕事をしているエージェント(Askonas Holt)です。
エージェントは僕を様々なオペラ劇場のオーディションに誘ってくれました。

そして当時ベルリン国立歌劇場では、劇場専属のバス歌手を募集していたのです。
そこで2001年にベルリンに来て、国立歌劇場に入団したのですが、これが僕のキャリアにとって大きなステップとなりました。

F:最初は小さな役が多かったと思いますが…

V:ええ、でも最初の役は『ノルマ』のオロヴェーゾでした……

F:またもや!(笑)

V:1年目はオロヴェーゾ、『セビリアの理髪師』のドン・バジリオ、『魔笛』の弁者を歌い、その後すぐに『フィガロの結婚』のフィガロ、『魔笛』のザラストロ、『パルジファル』の第2騎士、『フィデリオ』のドン・フェルナンドを歌いました。
小さな役ばかりではなく、非常に多様な役がありました。

今思えば、僕の声にとっては非常に危険な状態でした。しかし、僕にとっては、自分に合ったレパートリーを見極めるための手段でもありました。
また、ダニエル・バレンボイムや、シモーヌ・ヤング、フィリップ・ジョルダン、ベルトラン・ド・ビリーの下で仕事をする機会もあり、モスクワから来た僕のような少年にとって、それはまさに得難い体験でした。
この数年間は、僕の(声の)訓練にとって、とても重要でした。

現在、僕の声が僕に「歌いなさい」と言ってるのは、主にヴェルディ、イタリアやフランスのロマン派、ベルカントなんです

F:実際、モーツァルトからベルカント、ヴェルディからワーグナー、ロシアやフランスのオペラなど、非常に幅広いレパートリーを持っていらっしゃいますね。貴方の声に合ったものは?

V:僕が歌いはじめた頃の最良のレパートリーは、モーツァルト:レポレッロ、フィガロ…だったと思います。
現在では、間違いなくヴェルディとすべてのメフィスト(グノー、ベルリオーズ…)です。フランスのロマン派のレパートリーは、僕にとって素晴らしいものです。
僕は音楽にとても興味を持っている人種です。そして、僕は自分の楽器を演奏すること(=自分の声を使って歌うこと)で、縦横無尽に音楽を旅することができるだけの実力があると信じています。

僕は今、全て(の役)ではないにしろ、ワーグナーも歌うことができます。『リング』のファーゾルトや『トリスタン』のマルケ王などは素晴らしいと思いますが、注意深く声を観察しています。
ザラストロも歌えます。その一方で『ホフマン』の悪魔4役や『エスカミーリョ』も歌えます。

つまり、高音域と低音域、共に求められる役を歌うことができるのです。そしてもちろん『ドン・カルロ』のフィリッポ2世もレパートリーに入れています。

しかし、現在僕の声が僕に「歌いなさい」と言っているのは、主にヴェルディ、イタリアやフランスのロマン派やベルカントなんです。

F:あなたがこれまでに出演した劇場について話しましょう。おっしゃるとおり、ベルリンの国立歌劇場が貴方の基盤となった劇場でしたが、他にもいろいろな国で歌っていましたね。

V:僕が何も(仕事を)していない劇場はほとんどないと言っても過言ではないと思いますよ。
パリでは、まずガルニエで『イドメネオ』の「声」、次にバスティーユで『ナクソス島のアリアドネ』のトルファルディン、『ラ・ボエーム』のコッリーネ、そして再びバスティーユではルイザ・ミラー(のヴァルター伯爵)を歌いました。
また、2001年にはシャトレ劇場でリムスキー・コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」に出演しました。

ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン・オペラ、そしてミュンヘン、ハンブルグ、チューリッヒ、バレンシア、マドリッドのテアトロ・レアルなどで定期的に歌ってきました。
2001年、僕が初めて国外で演じた役は(マドリッドのレアル劇場での)『ドン・カルロ』の修道士でした。

そしてイタリアでは、ヴェネツィア、パレルモ、トリノ、ヴェローナ、パルマ、ローマ……どこで歌っていないのか、自分でも把握できません・・・

(暫く沈黙の後)そうだ、ザルツブルグだ!なぜなのかはわかりませんが・・・。

F:フランスの他の都市でも歌われていますが..

V:ええ。ボルドーでは2005年にドン・バジーリオ(セビリアの理髪師)2006年にランフィス(アイーダ)
他には(2018年に)マルセイユでシルヴァ(エルナーニ)
そして大好きなナンシー(2014年にザッカリア(ナブッコ)2015年にアレコ(タイトルロール) 、フランチェスカ・ダ・リミニ(マラテスタ))でも。
ナンシーは非常に美しい劇場ですが、街も同じように美しいです。

僕にとってヴェルディは、言葉と旋律線、表現とスタイルの間に完璧なバランスが存在しているのです

F:今後、どのような役柄を演じてみたいと考えていますか?

V:今、自分が歌っているレパートリーにはとても満足していると言わざるを得ません。あと10年、いやそれ以上、ヴェルディを歌い続けたいと思っています。
それが僕にとって最も自然なことなのです。「ナブッコ」「ドン・カルロ」「エルナーニ」「アッティラ」「シチリア島の昨夜の祈り」…
僕にとってヴェルディは、言葉と旋律線、表現とスタイルの間に完璧なバランスが存在しているのです。

とはいえ、もちろん他の野望もあります。特に、ロシアものの大きな役の準備に集中して取り組んでいます。
5年後には「ボリス・ゴドゥノフ」に近づいているでしょう。

ええと…僕は21歳の時にステージで歌い始めて、現在44歳です。初めてのボリスをあまり急ぎたくはないのです。もう少し時間をかけたいと思っています。
また『ホフマン物語』のメフィストも含めて、すべてのメフィスト(悪魔役)を演じ続けたいと考えています。

最終的に僕が本当にやりたいことは、モーツァルト・・・フィガロやレポレッロに戻ることなのですが、現在では誰も私をモーツァルト歌いとしてはみなしていません。
よく「ヴェルディを歌ったら、もうモーツァルトを歌ってはいけない!」と思われているようですが、それは間違いです。

F:バス歌手は悪役を歌うことが多いですが・・・

V: 必ずしもそうではありません。それに、悪役を歌い演じるのはとても楽しいものです。
でも、ヴェルディのバスは、父親や司祭、王様のようなイメージです(笑)もちろん「悪役」にはすべての悪魔が、彼らのそばに存在しているんですがね…

F: あなたはベルリンに住んでいると思いますが…

V: はい、その通りです。

***後半に続きます***

フランス語は全く出来ないので^^; 以前スペイン語のインタビューを訳した時のことを思い出して、翻訳サイトを駆使して格闘・・・
最初は英語に直してから、訳していこうかと考えたのですが

「ロシア語は他の言語のどのような表現も正確に翻訳できると言われるほど、世界の言語の中でも最も柔軟性に富んだ美しい言葉です」

との、かつてロシア語を勉強してた時の私の先生の言葉を思い出し、DeepL翻訳でロシア語に変換、そこから日本語に直して噛み砕いて・・・という作業をしております。
(久々にロシア語とがっつり向き合っている気分w)

英語からもアプローチして、出来る限り意味を把握したつもり…ですが、なんせ原文の知識がゼロなので💦
彼の言いたいことは恐らくこういうことだろう…と、意訳しまくり、拡大解釈の箇所も多くあると思います。
(「翻訳作業の半分は日本語力」とはいえ、センスの無さを実感。。。インタビューとかレビュー、ささっと訳してブログ等に掲載なさる人って凄いわ〜って思った(笑))

今回のインタビューの内容は、かなり「濃く」って。

分量も多いので、思い切って前半(経歴その他、レパートリーについて)と後半(パンデミック下のオペラ歌手として)に分けました。
(というか、そうしないといつまで経っても全文紹介ができないかも。。。という危機感に苛まれましたの)

というわけで、今回のポストでは前半の「経歴その他、レパートリーについて」を載せます。

本当はフランス語から直に訳して行くのがいいと思っていますので、もしフランス語に精通なさっている方に御目通り頂いた暁には、間違って解釈しているところがあればお知らせくだされば幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

 

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