インタビュー:2017年12月、バレンシアにて

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1月末のスペイン・ヘレスでの「ファウスト」を終えた後、モスクワにすっ飛んで「フィガロ」を歌って、目下ミュンヘンでの「カルメン」のリハーサルに打ち込んでいる(であろう)ヴィノグラードフ。
昨年12月、バレンシアでの「ドン・カルロ」(フィリッポ2世)に出演中に、現地の新聞社【Levante】で受けたインタビューが見つかりました。
(紙面掲載は12月8日、クラシックとオペラの最新ニュースやレビューを掲載しているスペインのサイト“Beckmesser”への掲載は12月14日)

★スペイン語の原文はこちら★

スペイン語は全く出来ないので^^;グーグル先生を駆使して約1週間の格闘・・・
(スペイン語の仕組みがちょっと見えたような気になっていますがw)
日本語はもちろんのこと、英語やロシア語からもアプローチして、出来る限り意味を把握したつもり…ですが、なんせ原文の知識がゼロなので💦
彼の言いたいことは恐らくこういうことだろう…と、意訳しまくり、拡大解釈の箇所も多くあると思います。
(「翻訳作業の半分は日本語力」とはいえ、センスの無さを実感。。。インタビューとかレビュー、ささっと訳してブログ等に掲載なさる人って凄いわ〜って思った(笑))

日本人的には、読んでもあまり興味が沸かないだろうな・・と思われる、バレンシアのオペラハウスの人事のくだりや
どうしても意味がわからない文章で、省いても全体の意味としては差し障りないだろう・・と判断した所は、思い切って省いてます。

インタビューも随分増えてきまして、ドイツ語2本(2016年のOpernglas&昨年秋にハンブルクオペラの機関誌で受けたもの)と、2015年にモスクワで受けたロシア語のものを訳さねば…と思っているものの
なかなか進まず・・;(ごめんなさい🙇)

でも今回のインタビュー、先の3つを後回しにしてでも(笑)訳し甲斐のある、とても良いものでした。
私も全く知らなかった(!)事実も判明したり(笑)
昨年の非常に悲しいニュースでもあった、彼の故郷ロシアの大先輩に当たるディミトリー・ホロストフスキー氏に関するエピソードにも言及しています。
スペイン語ベースとはいえ、公式に彼がホロストフスキー氏についてこのような追悼を述べたことは、とても意義のあることだと思います。

えっちらおっちらと訳しつつ、彼がインタビュー中で何度か触れている2006年のレポレッロ@バレンシアでのこと等を懐かしく思い出したり、
彼の「僕の声の成熟には時間が必要でした」という言葉の重みを噛み締めつつ、色んな事が頭をよぎり、時には涙目になりつつ・・

ない知恵、文才を振り絞ってみたのですが。。。
せっかくなので、文末に注釈(=ツッコミ?)として補足もつけてあります。
写真も原文と同じものを使用して、インタビューの記事っぽい雰囲気も出してみました(原文ではウチのサイトから使って頂いたようで・・・ありがとうございます〜)

何かのご縁でこちらを読んで下さった方が、アレクサンドル・ヴィノグラードフというバス歌手に関心を持ってくださり、今後の彼の活動に注目して下さるきっかけになれば幸いです。
またスペイン語に精通なさっている方からのご指摘、ご指導、大歓迎です。
どうぞ宜しくお願いします。

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アレクサンドル・ヴィノグラードフ:ロシア人歌手にとって、バレンシアは常に幻想です。

(インタビュアー:Justo Romero このインタビューは、2017年12月8日のLevante紙に掲載され、2017年12月14日Webに掲載されました)

Photo: Polina Plotnikova 笑うと昔の面影があるね

21世紀の素晴らしい歌手の1人として名を連ねているバス歌手、アレクサンドル・ヴィノグラードフは、これまでの男声歌手としての常識を破る新しい世代に属しています。それは成功によって激減したり、拍手に惑わされたりしません。

彼のすべてがアーティストとしてのクオリティーを醸し出しています。頭のてっぺんから足先まで、このアーティストの持つ情熱を、力づくではなく最も優れた歌を歌うというやり方で提示します。

1976年モスクワ生まれ、ロシアの声楽の伝統を継承している彼は、現在パラオ・デ・レ・アーツでのヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」でのフィリッポ2世に生命を吹き込んでいます。
2006年にはロリン・マゼール(Lorin Maazel)の指揮のもと、レポレッロ(ドン・ジョヴァンニ)を歌って以来、エスカミーリョ(カルメン)バンコー(マクベス)プロチダ(シチリア島の夕べの祈り)等、彼はここバレンシアで頻繁に歌い、彼のキャリアに於いても中心的な位置を占めています。

「バレンシアは僕を最初の瞬間から魅了しました。 ロシア人にとって、人々も劇場も地中海のように暖かいこの街に戻ることは、常に幻想です」

彼のこれまでのキャリアとこれからの計画のことに加えて、つい先日他界したディミトリー・ホロストフスキー氏や今回共演する同僚のプラシド・ドミンゴ氏についても、このリラックスした雰囲気のインタビューの中で語っています。
常に規則正しく、響き渡る深みのある低声は、ステージ上でオペラのキャラクターとして聴衆を感動させるのと同じ強さをもって、我々に語りかけてきます。

Romero(以下R):11年前にローリン・マゼールの指揮の元、貴方はレポレッロをここバレンシアのパラオ・デ・レ・アーツで歌って以来、貴方のキャリアに於いてこの地は重要な場所となっています。

Vinogradov(以下V): マゼールとのドンジョヴァンニ!素晴らしい思い出です! 素晴らしい指揮者だった・・・! 僕はまだ若く、31歳の時でした。僕にとっては、彼と一緒に働くことは新たな発見で(*1)パラオ・デ・レ・アーツのように新しく壮大なステージでした。
しかし、僕は何に最も驚いたのかわかりますか? オーケストラの響きです! この素晴らしいオーケストラと一緒にモーツァルトを歌うことが、本当に信じられませんでした。
それは今日(こんにち)でも非常にうまくいっています。 劇場ももちろんですがバレンシア自体の気候、人々、公衆、合唱団、オーケストラ、声がよく届くこと、優れた労働条件…すべてに於いて、僕はいつでもここへ戻ってきたいと思っています。

ドゥダメルとロサンゼルスにて

R: 彼のキャリアは、ロシアの学校の最高の伝統の中で、強力な自然な直感と文化を融合した結果でもあります。これは音楽の分野だけに限られていません。
彼はまた、より多彩な背景を持つ歌手の一人でもあります。ピアノとクラリネットを学んだ後、モスクワ工科大学の物理工学部で数学と物理学を学んでいました。
そのうえ、(*2)彼は優れたランナーであり、長距離自転車走者という側面も持ち合わせていることを私は知っています…

V: ハハハ!まあ…そんなに多くは走らないです(笑) ええ、僕がすでに7歳の時にピアノを勉強していたのは事実です。そして10歳の時にクラリネットを真剣に始めました。
それはちょっと変わった理由によるものです。ピアノと音楽理論を教えていた僕の母は喘息に苦しんでおり、僕にそれが遺伝することを恐れていたので、管楽器を学ぶことが、僕の肺にとって有益で健康的であると考えたのです。
その後、モスクワの(Guennadi)Rozhdéstvenskiオーケストラのクラリネットソリストであるいとこと話し、すぐに彼と勉強を始めました。

R: いつ、どんな形で歌は貴方のもとにやってきたのですか?

V: 僕はいつも歌ってました!6年間小学校の合唱団の一員でした。13歳か14歳くらいの時に声変わりが始まり、学校の悪友たちとギターを持って一緒に歌いました。その後、僕の声に気がついた友人が、モスクワのシナゴーグへ行くように僕に勧めました。そこにはバス歌手を必要としている、とても良い合唱団があったのです。

合唱団では、僕の声に強い関心を持っていた人が僕に、歌の先生と一緒にコンサバトリーでオーディションをするように提案しました。その時僕は17歳でした。その後すぐに母が「あなたの息子さんはどこにいますか? 彼は今すぐ歌を勉強しなければなりません! 彼は抜群の才能を持っています」という電話を受けたのです。
そういうわけで、僕は自分の未来が歌えるように真剣に考え始めました。

ボリショイでのフィガロ

R: そしてすぐに、殆ど知られていない僅か21歳の時に、ボリショイ劇場での「ノルマ」オロヴェーゾでデビューしたのですね。

V: ボリショイでのデビューは大成功ではなかったことをはっきりさせておかなければなりません。僕はあまりにも若く、知られていませんでした。
共演者は群を抜いており ー ノルマをマリア・メシチェリャコーワ (Marina Mescheriakova)が歌ったことを想像して下さい!それは素晴らしい体験の一つでした。そしてポリオーネをBadri Maisuradzeが歌ったのです。
古いボリショイ劇場で彼らの脇には、初めて舞台にやってきた21歳の僕がいました。誰もが僕に満足し、僕の母は彼女の息子を誇りに思いましたが、デビューは痛みも栄光もなく、起こったということです。

R: その頃からスヴェトラーナ・ネステレンコ女史と一緒に勉強しているのですか?

V: はい。僕が19歳の時に彼女との勉強を始め、それは今でも続いています。彼女は格別な女性で、偉大な声の知恵を宝物とし、常に僕に莫大な知識をもたらしてくれます。
僕が新しい役を準備する必要がある度に、僕は彼女のところで、アウトラインを説明しています。つい先日ここバレンシアでも、ドン・カルロの為に、少し一緒に仕事をしてもらいました。

R: その若かったオロヴェーゾの声は、どのようにして国際舞台を駆け巡る星のように変わったのですか?

V: 声は同じです。明らかに声量は増して、言うまでもなく音色は成熟しました。しかし僕の声は常に、明確に低かった。
最初からすでに適切な声を持ちあわせていたルネ・パーペやイルダール・アブドラザコフと違い、僕の声の成熟には時間が必要でした。

パラオ・デ・レ・アーツでの僕の公演を見直してみれば、この進化をはっきりと認識することができるでしょう。僕がローリン・マゼールと一緒に2006年に歌ったレポレッロから、2010年のズービン・メータとのエスカミーリョ(カルメン)、2015年のヘンリック・ナナシとのバンコー(マクベス)、昨年のプロチダ(シチリア島の夕べの祈り)、そして現在のフィリッポ2世…
ゆっくり、時間がかかってはいますが、はっきりと明確な進化を確認できます(笑)

R: 現在40歳 − 12日には41歳になろうとしている彼は既にダーラント、レポレッロ、ピーメン等を歌っており、彼の持ち役のポートフォリオには「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のポーグナーも入っています。彼はまた、ドン・ジョヴァンニやエスカミーリョのような「低い」音域が少なめの、バリトンの役をも歌っています。
彼の(*3)「スロー・スロー、クリア・クリア」は、オランダ人、ボリス・ゴドゥノフ、ハンス・ザックスのような役にまで発展するのでしょうか?

V: 僕はそのような大胆な計算はしません。僕のキャリアには時間が必要です。
僕は非常に慎重です。僕が自分で役を決めるのではなく、僕自身の持つ声によって決まるのです。それは完全に自然な形で成熟させることができる、ということです。
あらゆるやり方を試したり、もちろん力づくで、ということもありません。どのような役に向いているか、どの役には向いていないということをはっきりさせることが出来る声です。
声というものは、はじめからおわりまでが一つの繋がりです。僕は40歳ですが、これまで20年間、プロとして歌い続けています。すべてがうまく行き、あと20年以上この仕事を続けられることを願っています。
もし、例えばハンス・ザックスやその他、現時点で自分にとって不十分な役を歌い始めたら、僕の声にとって非常に危険で、僕はこの先の20年、充分な活動ができなくなることを認識しています。
バスの声は35歳くらいから40歳くらいでやっと確立します。僕の声は現時点では、ヴェルディとベルカントに最適だと信じています。この分野で僕は10年以上活躍できると思います。モーツァルトでも同様です。

僕は自分の声にとってのやり方をわかっていますし、それを尊重したいのです。
2003年にテアトロ・レアルで、バレンボイムにやってくれないかと頼まれた23歳のダーラント(さまよえるオランダ人)の時に、僕が間違いを犯したようなことは、もう二度としたくはないのです。

テアトロ・コロンでのフィリッポ2世

R: 私たちは1時間話していますが、興味深いことに彼はまだロシアもののレパートリーについて語っていません…

V: 僕の声質はロシア物のレパートリーとはちょっと違います。そうですね、イタリア物とフランス物のレパートリーにぐっと近づき、より心地よく感じています。
もちろん、僕がボリス・ゴドゥノフやロシアのオペラの他のすばらしい役を歌う日はやがて来るでしょうが、その時がまだ来ていないことは分かっています。

R: マドリードでのバレンボイムとのダーラントが貴方の最初のスペインでの舞台でしたか?

V: いえいえ、違います。 知ってましたか? もっと早くに…2000年だったか1999年に、ルイス・リマ、ディミトリー・ホロストフスキー、ルチアーナ・ディンティーノ等と一緒に、ウーゴ・デ・アナの記念碑的なプロダクションである「ドン・カルロ」の修道士としてテアトロ・レアルで歌っています…
そしてセビリアのマエストランカ劇場ではティムールを、バレンシアでは先程語った通りです。 まだリセウとビルバオでは歌っていません。
オビエドでは、アストゥリアス皇太子賞(*4)歌いました。 来年1月には、ヘレスのビジャマルタ劇場で「ファウスト」のメフィストフェレスを歌います。これは(*5)僕の友人のテノール、イスマエル・ジョルディからの個人的な要請によるものです。

R: 先程、先日亡くなった同郷の先輩でもあり、同僚のバリトン、ディミトリー・ホロストフスキー氏について言及なさいましたが…

V: こんなにも残酷な出来事が僕達の人生にもたらされ、こんなにおぞましいことと共に生きていかなければならないとは!
とても若く、とても満たされていて…まだやるべきこと、楽しむべきことを沢山残していた人が!僕はまだ、彼がいなくなってしまったことを信じられないでいます。

ディーマは稀有な才能と清廉潔白な誠実さを併せ持った、卓越した人間性に溢れる人でした。非常に謙虚で非常に礼儀正しく、健康で、知的で、強く、美しいアイドルでした。
僕は90年代に彼と出会いました。既に彼は大歌手で、そして、僕はまだ駆け出しの若造だった…
僕たちは同じエージェントに属していたので、いくつか一緒に仕事をしました。沢山ある彼のアルバムの中に、彼をサポートする役を歌っている僕の名前を見つけることができるものがあります(*6)小さな役ですが。

彼はいつも純朴で、シベリアからやってきたひねくれたところのない少年で、新鮮さと、彼が彼自身の遺伝子として内包していた自然さを保ったままでした。
何物も…成功でさえ、彼の高尚な「人となり」を変えることはなかったのです。彼は、ずっと彼のままでした。

僕が最後に彼と会ったのは、もう何年も前のベルリンです。彼は(*7)ベルリン・ドイツ・オペラで「仮面舞踏会」のレナートを歌っていました。
公演後、僕の妻も交えて一緒に夕食に行きました。彼はこれまでと何ら変わらぬ、素晴らしい先輩でした…

R: 話題をバレンシアでのドン・カルロに戻しましょう。 プラシド・ドミンゴも参加している今回のプロダクションの中で、貴方は現在取り組んでいるフィリッポ2世のキャラクターについて、どのように解釈なさっていますか?

V: フィリッポは複雑なキャラクターです。それぞれの幕ごとに、新しいプロダクション毎に、僕は探求しています。
大変興味をそそられるのは宗教的な部分に関してです。 僕は個人的には不可知論者ですが、宗教が権力を持つ人々に対して及ぼす影響について、実に多くのことを読んでいます。
フィリッポ2世の場合は、世界で最も強力な人物が、教会の権威の前には全くもって為す術がなかったことが見て取れるのが劇的です。これは凄まじいものです。
彼に集結しているものは権力、宗教、愛、そして息子との関係ですが、これらは非常に残念なものです。 彼は息子を愛していますが、彼はそれが一方通行なのだと感じているのです。

エスカミーリョ

R: 最後には彼の確信を感じました。 フィリッポ2世の息子ドン・カルロの友人であるポーザ伯爵、ロドリーゴを演じるプラシド・ドミンゴについてどう思っていらっしゃいますか?

V: さて僕が共演者について貴方にどう話すのか、どのように期待なさっているのでしょう?(笑)
はい!実際プラシドは、パートナーという範疇を超えた神話、伝説、指南書、お手本のような存在です。(*8)彼があのように歌うのは、彼の年齢の為ではありません。
彼はこれまで同様に全く美しく歌っているのです!声の美しさと、彼の非常に長いキャリアの初めからずっと際立っている、はっきりとした音色で。
クリアで失われていない呼吸といつも通りの暖かみのある表現。
プラシドは奇跡です。彼の献身、勇気と関与は本当に信じられないほどです。
そして率直に言って、僕がここで彼について言及できることは、現実を伝えることには決してかないません。
貴方はポーザ伯爵の性格を携えた、いつもの若いプラシドが何をするのかを信じるために、彼を観て聴かなければなりませんよ。

R: ドミンゴとは、3月にNYのメトロポリタン歌劇場での「ルイザ・ミラー」でまた共演なさいますね…

V: はい、エライジャ・モシンスキー(Elijah Moshinsky)のプロダクションで、ソーニャ・ヨンチェヴァやピョートル・ベチャワ等のスター歌手が参加します。
これは、僕にとって指揮者ジェームス・レヴァインとの初めての仕事になるはずでした。僕はメトでのデビューが彼と一緒だということで非常にワクワクしていたのですが…残念ながら、何かが起こってしまったのですね!

インタビューは、2017年12月8日のLevante紙に掲載されました。

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(*1)バレンシアのオペラハウス、パラオ・デ・レ・アーツはこの時がオープニング公演であった。
(*2)えええええ〜!は・つ・み・み(笑) そんなん知らんかったわw 走ってるとことか、自転車に乗ってるトコちょっと見てみたい・・(///▽///
(*3)原文の“lenta lenta y clara clara” は、その前の章の最後にヴィノグラードフが「ゆっくり、時間がかかってはいますが、はっきりと明確な進化を確認できます」の中で使っている表現。
(*4)歌ったのはショスタコーヴィチの「森の歌」まだ即位なさる前の現在のスペイン国王夫妻の皇太子時代に、ご夫妻でご臨席。ちなみにレティシア王妃はオビエド出身。素敵なファッションにウットリしたものです。
(*5)1973年生まれのテノール、イスマエル・ジョルディはヘレス出身。今回地元での「ファウスト」がロールデビューだったので、友人のヴィノグラードフをメフィストとしてご指名してくれたとのことです(ありがたや〜〜(´;ω;`))
そういえば10年前2008年の「ロメオとジュリエット」のローラン神父でヘレスに出た時のロメオ役もジョルディだったんだ・・と改めて。いい友人持って幸せね、ヴィノグラードフ。
(*6)2003年リリースの”Verdi Arias -Dmitri Hvorostovsky (baritone)-“の中で、ホロストフスキーのルーナ伯爵に合いの手を入れるフェランドとして参加。
(*7)2009年10月30日、11月2日、5日の何れかと推測。(娑羅さんのファンサイトより)
この時期、確かにヴィノグラードフ自身も自宅のあるベルリン国立歌劇場で仕事してました。
(*8)原文は”No es que cante así o asao para la edad que tiene…” この文章だけは色々な角度から検証したのですが意味がぜんぜん通らず、半ばやっつけ仕事です。(“asao”の意味がわからない;;)
もしお分かりの方がいらしたら、ご教示願えれば幸いです。

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