過日9月9日、このウェブサイト、アレクサンドル・ヴィノグラードフさんのファンサイトを開設して16周年を迎えました。
(イラストはお友達のBasilioさんより。ありがとう!)
当時仲良くさせて頂いていたオペラ好きの先輩方が、既に功を成し遂げているお気に入りの演奏家についてのまとめサイトを次々と開設なさったのを見ていて、
「旅先で偶然聴いて気になって。まだ若くて、情報も殆どない歌手だけど、幸い?他にそういうサイトもなさそうだし・・・だったら自分のまとめ用に作っちゃえ」という勢いだけではじめて、早16年。
当時は「追っかけ」という言葉が主流で(今でも私の気持ち的には「追っかけ」が一番しっくり来ます)
各々のブログで好きな演奏家についてあーだこうだと主張し、時には大げんかもしたり・・・
当時のことをあまり好きではなかった・・・と仰る方もいらっしゃるけど、私の原点はやっぱりあの時代だなあ・・・と思います。
しかしこの一年半、コロナ禍が続く中で「推し活」ブームについて語られた記事を見ることも増えてきたように思います。
・【推し活】はハッピーオンリーですか?
おそらく、こんなご時世故に、様々なジャンルの「推し様」たちのライブ活動に制限が出ており、ファンたちもライブへ行けないわけで、これまでの追いかけ方とは違う方法を模索したり、人によっては「推し(活)」と自分との関係性を見直すきっかけにもなっているのかな・・・と感じています。
「推しのいる生活は人生を豊かにしてくれる」
「楽しいから推しを【作る】べし」
など、推し活に対するポジティブな記事も多く見かけます。
・・・そうかなあ・・・
私は16年間、自分がやってきたことに諸手を挙げて「うぇぇぇぇい!推しのいる生活ハッピー❤️」で歩んできたわけではない、卑屈に色々と拗らせてる人なので、素直に「そうそうそうだよね」とは言えません。
むしろコロナによって引き起こされた移動制限が、実は私にとっては、心の平安をもたらしている側面があります。
というのも、今はよほどの特権階級や仕事でもない限り、事実上誰もが外国への渡航を制限させられていて、自由にどこへでも行けるわけではありません。
つまり、ある意味で誰にとっても平等だということです。。。
・コンプレックス
長年私は、いつでも好きな時に彼の公演を追える世界のセレブなオペラファンはじめ、オペラに限らず好きな演奏家のために、欧米だけではなく、日本からも年に何度も海外に行ってる人たちに対して、強いコンプレックスを感じてきました。
1年に1回しか実演に行けない自分は、無価値で情けない、甲斐性なし人間で、こんな私が好きな演奏家のファンサイトをやっていいのだろうか?
もっと彼の実演にじゃんじゃん触れることができる人が、やるべきではないのかしら?
彼と全く違う文化・環境にいて、使う言語も全く違う私がやっていていいんだろうか?
ファンサイトをやる以上は、できる限り彼の歌を聴いて、公演に触れて、引き出しを多くしておきたい。
もちろん、データ的情報もレファレンスとして重要だけど、
それよりも大事なのは、表現者としての彼の意図を汲み取り、わからないながらも自分の中で理解を深め、かみくだいて消化(昇華)たものを、文章として形に残しておきたい。
私の目で見て、耳で聴いて感じた彼を、私はこのウェブの片隅の小さな場所に留めておきたい。
そのためには、本当は全部、聴いておきたい。
けど日本に住んでいて、家庭もある普通のパート主婦である以上、時間とお金のやりくりに限界があります。
それでも16年間、家族の理解や渡り歩いてきた職場で融通を利かせてもらって、なんとかして1シーズンに1回は行けるように努めて、続けてきました。
・無観客では意味がない???
パンデミックの最初の頃は、彼のスケジュールが次々とキャンセルされていくのを確認するのが、本当に、本当に辛かった。
毎回、頭を殴られたような、気が遠くなるような感覚に陥りました。
もうこれ以上、彼から仕事を奪わないでほしいといつも思っていました。
(6月下旬〜7月のシドニーでの、初演三日前にロックダウンに入ったが為にキャンセルされた「アッティラ」は、それとは比較にならないくらい悔しくて辛かった・・・)
だからたとえ無観客でも、ステージに立つ機会があれば歌ってほしいとも思っていました。
そういう場合は、ストリーミングすることも多かったし….(そうすれば私はいながらにして彼を見られる、聞けるし)
なので、2月に受けたインタビューの中で、彼が強く「無観客では意味がない」と言い切っていたのは、私にとってちょっと意外でした。
インタビュー:2021年2月「僕たち芸術家は今、檻の中にいるようなものなんだ!」後半(パンデミック下のオペラ歌手として)
彼にとっては「(どういう状況ででも)歌えればいい」というわけじゃなかったんだな。。。って。
見てくれる人がいて初めて舞台は成り立つんだ、ケミストレーションは双方から生まれるものだから、との彼の主張は、頭では納得はできるんですが
「。。。ということは、やっぱりいつでも舞台を観に来てくれる人のほうが(私みたいなデータや情報だけで盛り上がれる変態よりも)ありがたいってこと?!」
と、穿った見方をしてしまう私がいてですね。。。(⇦拗らせている)
・じゃあヴァラリンさんの【推し活】は苦しいだけですか?
それは違います。
アラフィフの私、16年間という人生のほぼ3分の1の長さを、彼の歌と過ごしてきました。
彼のことを知らない人にも、できるだけ良い形で知ってほしいという願いを込めて、ビデオクリップを作ったり(YouTubeの登録者数も530名になりました!ありがとうございます)
自分なりに色々と、どうやったら彼にとってプラスとなる活動になるのか悩み、考えながら、やってきました。
最近では、日本人の若いバス歌手さんから「ヴァラリンさんのサイトを通じて、ヴィノグラードフさんを知りました。ビデオクリップも参考にしています」
など、そういう方面からの嬉しい言葉もいただくこともありました。
その他、こんなご時世でもインタビューを受ける機会が今年は複数回あり、その紹介にも力を入れています。
そういったマーケティングめいたことからは離れますが、先日は2年前に来てくれた松本で、ちょうど当時の舞台写真ギャラリーをやっているのを知り、
夏休みに足を伸ばして、思い出をたどってきました。
松本ではお昼ご飯を含めて正味1時間半の滞在だったけど、お城近くから駅まで歩き、私が泊まってた駅前のホテルを眺めたり。
そして何よりも数ある写真パネルの中のたった一枚だけど、彼が載ってるのをこの目で確かめて、二年前に確かに彼はこの地に滞在し、歌っていたんだ…と再確認できてよかった。 https://t.co/w4VhXfh45X pic.twitter.com/nHgNIHS0fO
— ヴァランシエンヌ (@valen_vino) August 31, 2021
そういったこと全てが、私の喜びです。
・私の追っかけ活動(推し活)は「苦しみを含めての喜び」
不十分だと思いつつも、一人の演奏家に特化したウェブサイトを16年間維持してきたことは、自信を持ってもいいのかな…
2004年12月から2021年9月までの足掛け16年で、ライブで聴けた回数は52回になりました。
頻繁に行ってる方の足元にも及びませんが、それでも50回(目は2019年の松本での「オネーギン」千秋楽でした)は超えたんだなあと感慨深くなったものです。
色々迷ったり悩んだりしながら、これから先も私のやり方で彼を応援していくことでしょう。
ヴィノグラードフさん、16年間元気に活躍してくれてありがとう。
私に貴方のファンサイトを任せてくれてありがとう。
今シーズンは10月10日、ミュンヘンでの「トゥーランドット」(ティムール)からのスタートとなりますが、
とにかく、彼が健康で幸せでいてくれること。
公演のキャンセルがこれ以上起こりませんように…無事に(有観客で^^)全ての舞台が行われることを祈っています。
そしてパンデミックが早く収まることを心から願い、何の制約もなく飛行機に乗って彼のライブを見に行って、彼の生の声を浴びるほど聴いて満たされ、その喜びを書き綴る時がまた訪れますように。