060102 さまよえるオランダ人@ベルリン国立歌劇場(再掲^^)

★ただいま新国立劇場で行われている《さまよえるオランダ人》の感想(3/11鑑賞)を、サイドブログにアップしました。
どさくさまぎれに(笑)この、2006年1月に観たベルリンでの《オランダ人》も、再アップしておきます(^^ 

★さまよえるオランダ人@新国立劇場(2012年3月11日に鑑賞)のレポ ⇒⇒⇒
いんちきワグネリアンを標榜している割には、実は《オランダ人》は、ワーグナーの作品中、さほど思い入れのない作品です。

CDは時々部分的に取り出して聴く程度。
映像はこれまでに3つ見ています。短縮版の古い白黒映画、サヴォリンナ音楽祭ライブ映像、そして多分、オランダ人の映像としては、最も有名な、ハリー・クプファーが’80代半ばにバイロイトで演出した、物語全般をゼンタの妄想と読み替えたものです。

このバイロイトのものが、ドラマ的には一番収まりがいいというか、すっきりするのですが、それでも「没入できない何か」があり、どうも胸を張って「好き!」とは言いがたいというか…

・オランダ人 映像&CDリスト

この演出は、フンメルさんも書いていらっしゃいますが、上述のクプファーのバイロイト版と、基本的には同じコンセプト、つまり全体を「ゼンタの妄想」として読み替えた、もはや古典(若しくは基準?^^;)となった形で物語が進みます。

帰宅して改めてバイロイトの映像を見返してみたところ、違う点が2つ。ひとつはゼンタの置かれている位置。映像では左端の高い位置から全体を見渡していましたが、こちらでは舞台中央の螺旋階段の上から見下ろしています。

もうひとつは、オランダ人の船。バイロイト版では女性の子宮をイメージして作られていましたが、こちらでは明らかに男性のシンボルを示しています。
この方が、よりゼンタの性的妄想を駆り立てる象徴として、納得が行くかもしれません。

《オランダ人》に限らず、ワーグナーの作品は序曲(前奏曲)が作品全体の縮小版みたいなものですから、これを聴けば、演奏の良し悪し、自分にとって合う合わない…が、だいたいつかめるのではないか?という考えを持っていますが、序曲と共に幕が開き、始まった途端、目も耳も引き込まれました。

…これは、もしかしたら大当たりかも…

予感は当たりました。音楽と共にドラマの中に没入すること、ゼンタの気持ちが手に取るようにわかり、自分もゼンタになった気分でのめり込みました。
こういう風に感じたのは初めてです。

白い服を着て、オランダ人の肖像画をぎゅーっと抱きかかえ、狂気が自分の内へ内へ向かって行く…という感じが(歌のない)1幕の表情と雰囲気だけでも引き込まれました。

性的な妄想が「いかにも作られた、エキセントリック」なものではなく、女性の本能とでもいうか、オランダ人のモノローグを聴きながら、彼とダーラントとの対話を聴きながら、随所でカラダは「反応」しているんですが、それが心の底から本当に「カンジテイル」のが伝わってきます。嘘っぽい感じが全然しないのです。

「まだ出会っていない、運命の男性を待っていたの!」という、いかにも少女漫画っぽいシチュエーションの女性像は、ワーグナーの作品ではエルザやジークリンデが当てはまるかと思いますが、スーザン・アンソニーのゼンタの役作りは、正に彼女たちに通じる点があると感じました。
この手のシチュに弱い私としては、すんなりとこのゼンタに感情移入できたのは、こういう少女的な雰囲気をも携えていたからかもしれません。

歌の方も、一途で細やかで女性的な優しさが際立っていました。バラードは、いわゆる「声楽的に完璧」に歌われると、確かにある種の生理的爽快感を味わえますが、スポーツじゃないんだし、感情の裏付けがないと、あの奇妙な”Jo-ho-hoe!”も、面白くないと思います。

映像では説得力のあるエリックについぞ出会った例がなく、下手をすれば、単なる情けないストーカーにしか見えないと思うのですが、シュテファン・リュガマーのエリックは、おっちょこちょいのダーラント父さんに対峙する、しっかりもののお兄さんという感じ。非常に存在感がありました。

見た目も(頭髪が少し後退しているのが惜しいんですけど^^;)背が高くすらりとして、素敵でした。

2幕のゼンタとエリックの対話の場面も、弛緩せず、見ごたえ、聴き応えがありましたが、幕切れ近くの二人の対話は(元々このシーンが好きなこともあるんですけど)ジーンとしました。

あくまでも肖像画を離そうとせず、床に突っ伏したような体勢のゼンタを後ろから抱きかかえ、行かないでくれ…と哀願するエリック。破滅寸前のゼンタを、なんとか普通の状態に戻したい…恋人というよりも、ゼンタの兄のような感じで必死で説得するけれど、妹は聞く耳を持たず、ついには投身自殺へ至る…そして、その原因を作った、父ダーラントを責める…という流れに、全く嘘っぽさを感じさせない、納得の行く役作りでした。

ダーラントは映像では、娘のことなんてどうでもいい、欲の皮のつっぱったオヤジにしか見えませんし、CDでも、立派なバス声で、オランダ人を圧倒するような歌い口の人が多いように感じます。

そんなダーラントを、アレクサンドル・ヴィノグラードフは一体どう歌い、演じるのか?絶対キャラズレでしょーー;と、実はあまり期待していませんでした。

どんな格好で出てくるのか、またバーコードかしら?^^!とか、色々妄想してたのですが、こちらでは白髪混じりの髪型+髭面で、一見してヴィノグラドフだとは、すぐにわからないほど、見事に「親父化け」してました(^^;

…髭面もいけるじゃん…

最初は長めの上着を羽織って、長靴を履いていたので、船長というよりも、魚屋のおじさん(ご、ごめんなさい^^;)みたいでした。
しかも、付け髭のおかげで顔が一回り大きくなり(髪の毛は多分、地毛を染めて白髪混じりっぽくしてたんじゃないかな?と思います。フサフサしてましたから^^)
なんだか頭でっかちで、バランスが悪いかなーー;と思ったんですけど、後半、懐中時計を胸につけたスーツ姿で再登場した時には、

w(*゚o゚*)w なんと!?ないすみどる(←死語?^^;)じゃん!! w(*゚o゚*)w(゚o゚*!!

…将来、バーコードでも白髪頭でも、どっちでも大丈夫そうね、未来は明るいわ…←バカ(///…

舞台裏からの第一声、ポン!と入ってこなくてアレ?!と肩透かしをくらったのですが、徐々に調子を上げて行って、ホッとしました。

役作りですが、私の心配とは裏腹に、おっちょこちょいで愛嬌たっぷり、抜け目がないどころか、穴だらけだけど憎めない、なんとも情けないお父さんでしたが、これが…びっくりするほどハマっているんです。歌が生真面目で端正なので、あまり喜劇には向いてないんじゃないかと思ってましたが、喜劇的センスも充分だと感じました。

喜劇的な役にこそ、押し出しの強さよりも気品や貴族性が必要だと常々感じていますが、彼のダーラントは正にそう。
これなら将来、オックス男爵もイケるんじゃないかって思いました。
私にとっては、嬉しいびっくり、この上演中にも、何度惚れ直したことかしら(;^^Δ

財宝の箱を開けた時、オランダ人の方をこそっと盗み見て、彼に気づかれないように懐へちゃっかり仕舞うところとか、決してギラギラの欲ではなく、嫌味のない欲の出し方で、私は笑いをかみこらえるのが大変でした(^〜^}}}}}

オランダ人に対して「君は率直に人品骨柄を見せてくれたし、君に財宝がなくても、わしは君を婿に選んだだろう」(←註:意訳です)とかいうくだりがありますが、この時にさりげなくオランダ人に握手を求めるんですけど、オランダ人に思いっきり無視されて、その手のやり場に困ってましたが、なんだかさりげなくごまかしてましたf(^^;
こういうのが、「やってます」じゃなくって、すごく自然なんです。

こんな風に、何度もクスクス笑いをかみこらえる場面があって、困っちゃいましたけど(^^ゞ

オランダ人との話がまとまり、出航するときの合図!
これ、別にホイッスルでも問題はないんでしょうけど、やっぱり指笛だと盛り上がりますよね。この指笛を、ホントに吹いていたんですけど、この音が、劇場いっぱいに響き渡った時には、意味もなくきゃぁ〜〜〜〜〜っって、ひとりで盛り上がってました(〃⌒ー⌒〃)ゞ

歌の方でも、決して出すぎず、いい味を出していたと思います。
ダーラントには細かく、明るい音型がついてますが、太目+ぼそぼそ系の声のバスだと、小回りが効かないように感じます。彼のしっとり細めで深い(でもちゃんと低いんです!)声は、ある意味この役にぴったり。

オランダ人との2重唱は、常にオランダ人を立てるように後ろに回りつつ、ピタリと付きながら、軽やかに歌ってました。オランダ人との声の相性も抜群で、今まで、どんな録音録画でも、この低声2重唱は退屈で…と思っていましたが、初めて美しい!!と心から感じました。

2幕のアリアも決して声を聴かせてやる!というのではなく、語るように、軽やかに、そして愛嬌と気品と慈愛に溢れたアリアでした。
これも、なんだか唐突で、ドラマ性を損ねるような気がして、今まで大して面白くないと思ってたのですが、現金なもので、彼が歌うと、今まで聴いていたものとはまるで別物のような、ちゃんとドラマの流れの中に存在しているんだ!というのが、違和感なく感じ取れました。

ゼンタを脇に引っ張って行き、オランダ人に見えないように(^^;「このバンドを見てご覧」と、オランダ人の目を盗みながらくすねてきた、あの宝石をこそっと出すところが、また自然で、憎めないんです(〃⌒ー⌒〃)ゞ

このアリアの前に「ゼンタ、せっかくわしが帰ってきたのに挨拶もなしかい?」という主旨のフレーズがありますが、ここのところ、歌も勿論よかったんですけど、ゼンタを見つめる優しい眼差しと、「ん?」という感じで、ちょっと首を傾げる仕草…
本当に娘のことをかわいいと思っている…というのが、目で見て感じ取れました。

だからこそ、かわいい娘を死に追いやったのは、他ならぬ自分なのだ…という絶望感が、最後の場面でより明確になったんだと思います。

ダーラントとしては、財宝が目の前にある時には、財宝しか見えていないけれど、ゼンタのことはかわいいと思っているのです。
だけど、おっちょこちょいで調子の良い彼は、いちどきに両方のことを考えることはできない。
だからゼンタに縁談を勧めるわけです。

とはいえ、その結果娘の狂気は更にエスカレートし、その変化に気がつかず、最終的に、自分が勧めた縁談によってゼンタが不幸に陥った(=自殺した)のは、ダーラントの意図するところではないわけで、彼にとっては非常に不本意な結果になります。

エリックに両肩を掴まれ、責められ、愕然とうな垂れる…この場面は今でも目に焼きついてますが、責めるエリックと肩を落とすダーラントの対比が、これほど印象に残ったことも、今までの映像ではありませんでした。彼のダーラントを観られて、本当に良かった。この役に対するイメージが覆りました。

肝心のオランダ人ですが、フンメルさんも指摘なさっているように、そもそも空想の人物ですから、役作りとしてはさほど難しくなかったのではないかしら?
Juha Uusitalo(ユハ・ウーシタロ)は、まるでプロレスラー並の大柄男性で、スタミナ充分。「そのお腹回りのお肉、隣のダーラントに分けてあげられな〜い?^^;」と言いたくなるような腹回りでしたが、やはりこういう体つきだと、声も大きいんですね(^^;
華奢なダーラントを圧倒してました。

歌自体はあまり繊細とは感じませんでしたが、割と好きな系統の声でだったので、助かりました(^。^;(あのグチ → モノローグ、苦手な声で聴かされるとウンザリなんです…)

また、高いところから常に船首にしがみついて出てくる体勢、大変だったと思いますが、大きな体でもそつなくこなしていました。

それと、月並みですが合唱も素晴らしかったです(^^)
2幕の「糸紡ぎの合唱」は、フェルメールのオランダ絵画をイメージしたような舞台で、美しさと人の声の力、どちらにも感激でしたし、3幕の「水夫の合唱」音楽の根源の力強さを感じました。

オケも、徐々にシフトアップし、最後はカタルシスいっぱいでした。やはり、このオペラハウスにおいては、ワーグナーはお家芸とでも言えるかもしれませんね。

《ボリス》で感じたもやもや感を、思いっきり吹っ飛ばしてくれましたし、リンデンでは《魔笛》以来のいい演奏を聴けて、遠くから来た甲斐があったわ(#^.^#)と、素直に感じられる上演でした。もはや古典的と言える演出でも、個々の歌手が役を掘り下げて、突き詰めて歌い演じてくれれば、新しい側面が見えてくると思いました。非常に心のこもった、感動的な公演でした。

《ドン・カルロ》の時のようなセンセーショナルさはなくとも、今まで私が接した実演の中で、No.1になったような気がします。こうして書いてみて、改めてこの上演が、心に響いてきたものだったということを実感しました。

そしてこの上演のあと、オランダ人、大好き!!と言えるようになったのは、言うまでもありません f(^。^;
(オランダ人モードに陥っていて、毎日かたっぱしから聴いてます^^)
一生懸命歌い、演じてくれた全ての歌手さんたちに、感謝です…^^

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2006年1月2日 ベルリン国立歌劇場
ドイツ語上演

指揮 Michael Boder
演出 Harry Kupfer

ダーラント Alexander Vinogradov
ゼンタ Susan Anthony
エリック Stephan Rugamer
マリー Uta Priew
舵手 Florian Hoffmann
オランダ人  Juha Uusitalo

プレミエは2001年4月8日。

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