Why did she decide to go to Dublin?

2009年10月、私は幸せと喜びで、いっぱいだった。
彼=アレクサンドル・ヴィノグラドフの歌うショスタコーヴィチ13番《バビ・ヤール》を、ベルリンで聴いた。
《バビ・ヤール》は、私が最も待ち望んでいた彼のレパートリー。彼は私の期待に充分応えてくれて、私は自信と確信に溢れた彼の歌唱(一か所、早まったところもあったけどね^^;)に煽られ、耽溺し、共鳴し、そして思い切り彼を称賛し、私は彼に、陶酔しきっていた。

私の彼への憧れと熱い気持ちは、疑うことなく永久に続くと信じられた。

2010年10月、一年後に、彼は3年ぶりに来日してくれた。
演目は「フィガロの結婚」
《バビ・ヤール》同様に、私が待って、待って、待ち望んだフィガロ。
私はきっと、前年と同じような体験ができるはず…疑いもなく、私はそう信じていた。

でも。

私は彼に耽溺するどころか、決して彼だけの責任ではないことは頭ではわかっていたものの、彼のどこか「迷ってる? 」的な役作りと、まとまりのない演奏に苛立ちを覚え、その怒りで激しく消耗した。
「こんなはずじゃなかった」と思いながら、自分ではその原因が、よくわかっていた。

「バビ・ヤールの時と、比べているの」

今までに感じたことのない虚無感。
これを何とか埋めたくて、出会った時と同じ《魔笛》のザラストロ、スカラ座での《ロメオとジュリエット》のローラン神父と、半年おきに、無理やり欧州へ足を運んだ。

それらは一時的な渇きを癒してはくれたけど、もっと何か、あの《バビ・ヤール》の時のような、茫然自失となるような感覚、子宮にガンガン響くような陶酔と、聴衆と歌い手の一体感が、私は欲しかった。

加えて、ネット放送やYoutubeで忘れたころに上がってくる過去の音源を聴いても、明らかに以前よりも燃えないことに気がついた。
8年もファンをやっていれば、当然慣れ、慢心…ときめき度もだんだん薄れ…いわゆる「倦怠期」のような状態にあることは、明白だった。

そして、昨年の大震災+原発問題。多くのアーティストが来日をキャンセルするという事態を招いた。

暫く来日の予定はないけれども、やはり、ファンとしては、いつかはまた彼に来日して欲しいと願っていた。
でも、今の状態が長く続くようならば、彼の健康、将来を考えると
「また日本に来てね」という言葉を、私から言うことは出来ない。一生封印しないといけないのかも…

それも、気が重かった。

ファンサイトの管理人としても、こんなあやふやな気持ちではとても、一人の歌手のキャリアをまとめる責任を負える立場でいられないのかも…という想い、
その大義名分よりも、もっとシンプルなこと…

「このままの状態で、私は彼のファンを続けていられるんだろうか?」

余計なことは考えず、もっとシンプルに、素直に彼のパフォーマンスに身を浸したい。
その為には、並みの演目ではダメ…これを埋めるには、私が一番愛してやまない彼の母国語での歌唱、つまり、ロシア語の作品でないと、満足できないと思った。

今シーズンの予定を眺めていて、真っ先にアンテナに引っかかってきたのは、ダブリンでの《モーツァルトとサリエリ》だった。
10年ぐらい前に一度歌ったことがあるのだけど、その時に、とても楽しかったと、インタビューで話していたのを読んで「次に歌う時には、絶対に聴きたい」と思っていた、リムスキー=コルサコフの二人芝居。

モーツアルトの誕生日の、一日限りのコンサート形式、しかも、場所は日本から遠く離れ、クラシック音楽の殿堂とはとても言えないような、アイルランドでの演奏。

行こうか、どうしようか…
家族を説得し、職場で了承をもらって休みを取って、お金をかけて行っても、満足行く結果になるかどうか、わからない。
でも、黙って何もしないで、諦めるのはイヤだった。もう一度私は、私の中の彼への熱い気持ちを、取り戻したかった。

「もう一度、私を酔わせて」

そんな祈るような想いで、私は旅の支度を始めた。

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